八代市事業移住・定住推進事業

やつしろいい住 > >新規就農をするために移住を選んだ熊本県氷川町
移住先レポート

新規就農をするために移住を選んだ熊本県氷川町

氷川町に移住し、農業を始めて3年目の桑野大司さん

 標高100㍍ほどのなだらかな丘の上に、ショウガ生産の畑が広がっている。すぐ近くには、国指定史跡の野津古墳群が木立の中にひっそりとたたずんでいた。見ず知らずの氷川町に移住し、農業を始めて3年目。自らトラクターを操って開墾した約5反の畑は、日当たりが良すぎるほどだ。

「収穫量を増やすための今の課題は水です。ショウガは春に植え、暑い夏を過ごして秋に収穫するのですが、その間になるべく均一に適量の水をどうやったら畑に供給できるかを試行錯誤しています」と、研究に余念がない。

結婚後に自分と向き合い農業にチャレンジ

 福岡県鞍手町出身。ショウガどころか、農業とはまるで縁のない生活の中で育った。熊本市内の大学に進学し、元々興味があった外国語を学んだ。卒業後にワーキングホリデー制度を使って2年間、オーストラリアで過ごした。

 転機になったのが、帰国後に入社したベンチャー企業での仕事だった。この会社が東南アジアで農作物の生産を手掛けていたため、外国語に堪能な桑野さんが現地駐在員として生産現場を任されることになった。「農業はまったく素人だったのだけど……」。毎日が知らないことの連続という中で、農業のイロハから始まり、土壌学なども勉強した。農業への興味がどんどん湧いてくる中、「デスクワークは得意ではないし、会社などに雇われて仕事をしていくのもどうなのか」という思いが強くなった。「農業は自分に向いているようだ。しかも、自分の裁量で仕事ができる」。

一方、この間に、熊本市出身で大学が一緒だった妻まどかさんと結婚。海外での単身赴任生活は、結婚前を含めて6年近くになっていた。退社して帰国することを決断。2018年春、まどかさんが暮らす熊本に戻った。元々、「どんな仕事をしたいのか」が考え方の中心にあり、「どこで暮らすのか」という〝場所〟へのこだわりはそれに比べれば薄かった。

ブランド農産物のしょうがとの出会い

そしてまず考えたのは「農業をちゃんと習いたい」ということだった。すぐに熊本県の新規就農支援センターに相談。どの農産物にするかを考えていく中で、候補の一つにショウガがあった。「トマトなど他の候補に比べ、人手が少なくて済む。施設園芸との比較でも初期投資は大きくない。しかも国内で高知県に次ぐ産地なので、先人たちの膨大な知識が蓄積されている。

ブランド農産物として販路もしっかりしている。そうした点が、新規就農の身にとっては魅力でした」と振り返る。また、資金面でさまざまな支援制度についてのアドバイスも受け、「メドをつけることができ、ありがたかったですね」。

その年の秋からは、農林水産省のGI登録(産品とその生産地を表示して保護する「地理的表示保護制度」)もされている八代市東陽町のショウガ農家、寺本誠・恭子夫妻の下での研修も始まった。「ちゃんとやることでしっかり収入があるのならば、やってみたら」と背中を押してくれた妻まどかさんも、一緒に研修を受けた。

地域の人たちと繋がり支えられて

研修先から近い氷川町が移住希望者向けに用意している「移住体験住宅」に入居。こうして新たな一歩に踏み出した。後に、地域の人たちとの繋がりが少しずつ生まれる中で、現在住んでいる住居や畑を紹介してもらうこともできた。約1年半にわたる研修を終え、自立した。

二人の子どもがまだ幼く、まどかさんが子育てで忙しいため、人手が必要な収穫時期以外は、農閑期の土づくりなど、ほぼ一人での作業が続く。とはいえ、研修先だった「師匠」や先輩農家らが時折、畑を見に来てくれる。「腰をすえて一生懸命にやっていたら、周りの人たちが親身になってくれるということを実感している。そうした支えは本当にありがたい。ここで農業を始めて良かったなと思います」。