自宅の前に広がる山際の田んぼの風景と、八代海に面した海水浴場の砂浜がお気に入りの武末愛さん
2017年、芦北町の「地域おこし協力隊」に夫婦で委嘱されて福岡市から移り住み、地場産品の開発やSNSでの町の情報発信、農作業の手伝いなどに走り回った。そして3年間の任期を終えた後、そのまま住み着いた。インターネットを使った在宅ワークが可能なうえ、温泉も近い。何よりも、自宅の前に広がる山際の田んぼの風景と、八代海に面した海水浴場の砂浜が、とにかく気に入っている。

熊本市出身。大学で「ブランド」の研究をしたこともあり、「広告の仕事がしたい」と大手広告代理店の子会社のインターネット広告会社に入社。東京の本社や福岡の支社で約8年間働いた。
広告業界の流れを受けて会社の方針が広告の運用にシフトしていく中、「自分がやりたい分野とは違う」という思いが強くなってきた。そんな時、会社の後輩が、ある自治体の「地域おこし協力隊」になるために退職。「地域のアピールをするという仕事も面白そうだな。自由にやれそう」。刺激を受けた。
営業の仕事をしていた夫の佳太さんに相談したところ、新規就農の考えを持っていた佳太さんも移住に賛成。その際に考えた条件は「九州のどこか」「新幹線や高速道路など交通の便が良い」「できれば、海が近い」「温泉があれば、なお良し」だった。何となく「熊本か、鹿児島か」となった。

さっそく地域おこし協力隊の募集を探すと、熊本県で上天草市の山間部にある地区が募集していた。佳太さんが応募し、現地を見に行った。しかし、間の悪いことに渋滞に巻き込まれて3時間も天草で足止めされ、交通の便に難を感じた。福岡に帰るまでに1日の余裕があり、「どうしようか」となった。海、温泉……。愛さんが子どもの頃に海水浴で来たことがある芦北町が、ふと頭に浮かんだ。その場で町役場に問い合わせの電話を入れると、「来月、募集しようと思っていました」との返事。「運命というのか、タイミングというのか」。福岡に戻り、まず愛さんが応募書類を出した。
2017年4月、とんとん拍子で採用が決まり、翌月に会社を辞めた。「移住を本格的に考え始めてからわずか4カ月ほど。もうバタバタでした」と笑う。アパートも見つかり、8月1日付けで正式に委嘱された。就農の道を探っていた佳太さんも3カ月後に同じく委嘱され、夫婦そろって芦北町地域おこし協力隊となった。
町内でショウガの栽培を始めた地区から「何かしたいのだが」と、アイデアを求められた。その時期の協力隊は武末さん夫妻と元レストランシェフの計3人。試行錯誤の末、シロップにしてみたところ、美味しかった。ただ、商品開発は3人とも初めてだったので、保健所への申請や食品衛生など一から自分で調べて勉強し、さらにショウガ(ジンジャー)からシロップへの製造委託先も探し回った。約1年半かかったが、商品化に成功した。
このほか、町内産のドライフルーツと紅茶を組み合わせた商品のパッケージデザインを担当したほか、初めて田植え機にも乗った。広告会社時代のスキルを活かして、SNSで町や祭りの様子、イベント情報などを次々に発信した。

2020年7月、初旬に発生した球磨川豪雨災害の復旧でてんやわんやの中、31日をもって協力隊を卒業。協力隊OBの起業を支援する制度も使い、翌年春から本格的にフリーランスで商品開発のサポートやデザインなどの仕事をスタートさせた。
「移住を考えている人に、地域おこし協力隊はおススメです。
振り返ってみて「移住を考えている人に、地域おこし協力隊はおススメです。『お試し移住』という感じ」と話す。地域のコミュニティになじんでいくことができることが大きい、と。その過程で愛さん夫妻も、地元の人の紹介で一軒家を借りることができ、引っ越した。野菜もいただく機会が多く、「あまり自分で買ったことがない」。支出が少ないこと、それなりに収入のメドがあることで、十分にやっていけると実感している
