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移住先レポート

氷川に帰って、やりたいことをしながら就農

真っ赤なTシャツとキャップに、デニムズボンの中村優希さん

日々乗り回している軽トラックも赤と黒に塗り分けられていて、目立ち過ぎるほどだ。また、自らを「HIPHOP FARMER(ヒップホップ農家)」と呼ぶ。Uターンで氷川町の実家に戻り就農して、まだ5年目。「やりたいことをしながら、どうやって商品を売り、購入してもらうか」を考えた結果、ちょっと派手だが、こうしたブランディング戦略で売り出し中だ。さらりと出てきた言葉は「まずは自分自身が最大の商品だと思っています。顔を知ってもらわないと」。

外見はいかつい感じで、本人も「人相が悪い」と笑う。しかも耳がレスラーのようにつぶれている。それもそのはず、中学では柔道に励み、高校は県内のレスリング名門校・玉名工高に進んだ。寮生活をしながらレスリングに打ち込み、高校総体では団体戦準優勝、国体では個人戦5位という成績を持つ。

卒業後、レスリングを続ける目的もあって陸上自衛隊に入隊。しかし、高校以来の度重なるケガで競技続行を断念した。陸自では特科(砲兵)部隊に所属し、福岡県や静岡県などの駐屯地で過ごした。徐々に階級も上がり、27歳頃から「人生をどうするか」と考え始めた時だった。

熊本地震が発生。「実家の両親の面倒を見なくちゃいけないかな」。3人兄弟の末っ子だが、兄2人は関東地方に住んでいた。さらに、可愛がってくれた祖母の死去、妻の妊娠も重なり、気持ちは帰郷に傾いていった。かつてイグサを生産していたが、その後、キャベツやトウモロコシなどの野菜に切り替えた両親に「氷川町の農業はどんな状況か」と尋ねるなど、情報収集を始めた。

実はそもそも「実家の農園を継いで就農」以外の選択肢は、ほとんど頭に浮かぶことがなかった。そうした中、地元でそのまま就農した同級生とは、農業経験ですでに10年以上の差があることに気が付いた。「(農産物を)作る」ことを極めるより、「どうやって売るか」という経営面に重点を置いた方が良いのでは、という結論に至った。

2018年春、Uターン就農した。そして、個性を打ち出すブランディング戦略に基づいてSNSなどでの発信を始めた。

とはいえ、農業そのものをおろそかにはできない。小さい頃から両親の姿を見ていたものの、実際にやってみると分からないことだらけ。JAの講習会に参加するなど、1年間のサイクルや農業用語を改めて勉強した。今はまだ両親が健在なので、作物管理に関しては両親の指導を仰ぎつつやっている。

ブロッコリーやもち米などはJA経由で出荷し、トウモロコシなどは直売や「道の駅」などで委託販売。中村農園のトウモロコシ(スイートコーン)は氷川町「ふるさと納税」の返礼品にもなっている。

一方、「生活を安定させるためにはリスク分散が必要」と考え、農業だけでなく、別の収入源も模索した。陸自時代に趣味で始めていた革細工が、その主要な柱になった。妻と一緒に「CRAFTER」という名前でブランド化。厳選した皮革を使い、ミシン縫いの3倍以上の時間がかかる手縫いで作っていく。そのため、出来上がった財布や名刺入れは耐久性が高い。このほか、「即応予備自衛官」として、年間30日の訓練勤務や災害時の非常招集といった任務に就くこともある。

農業の面でもリスク分散を考えている。収入減を複数持つことで、設備投資に回す資金を作ることができた。減農薬で生産しているが、必要な農薬はドローンを使った散布をしている。トラクターの台数も増やし、そうした機械化で農作業の請負も進めている。

仕事があれば、人も帰ってくる

「地元を離れた同級生たちでUターンしているのは、3割ぐらいだろうと思います。それだけ人が減っていくというのはさみしい」と痛切に思う。人手が減った農家の作業を請け負う事業も、雇用の場を作りたいからだ。「仕事があれば、人も帰ってくる。外から帰ってきた人間が、そうしたことを考えるのも大事かなと思っています」。